「もう年だから、これ以上は良くならないよ」
リハビリの現場でも、ご本人やご家族から、そんな声をよく耳にします。
でも、私が理学療法士として毎日のように見ているのは、それとは少し違う光景です。
脳の病気やケガのあとでも、練習を重ねるうちに、できなかった動きが少しずつ戻ってくる――。そんな場面が、たしかにあるのです。
その背景には、脳がもともと持っている 「変わる力」 があります。今回はその力、「脳の可塑性(のうかそせい)」 について、やさしくお話しします。
✅ 脳には、経験や練習に応じて、神経のつながりを作りかえる力 「脳の可塑性」 があります
✅ 脳卒中などで脳の一部が傷んでも、残った部分が役割を肩代わりしようとする(脳の再構成)。リハビリは、その力を引き出す手助けです
✅ この力は 高齢になってもゼロにはなりません。日々の運動・学び・人との関わりが、脳の“余力”を育てます
目次
そもそも「脳の可塑性」って?

私たちの脳の中には、「神経細胞(しんけいさいぼう)」 が、数えきれないほどたくさんあります。この細胞どうしは、手をつなぐように 「シナプス」 という接ぎ目でつながり、網の目のようなネットワークをつくっています。
このつながり方は、生まれたときのまま固定されているわけではありません。何かを練習したり、新しい経験をしたりすると、つながりが太くなったり、新しくできたりします。この「経験に応じて、脳の回路を作りかえる力」のことを、「脳の可塑性(かそせい)」 と呼びます。
たとえば、よく使う神経のつながりは、信号が伝わりやすくなっていきます。これは専門的には 「長期増強(ちょうきぞうきょう、LTP)」 と呼ばれ、学習や記憶の土台になっている仕組みです。「習うより慣れろ」という言葉は、まさに脳の可塑性のことを言い当てているのかもしれません。
脳が自分を作りかえる「再構成」の話

この「変わる力」が、いちばん頼もしくはたらくのが、脳卒中(のうそっちゅう)などで脳の一部が傷ついたあとです。
脳のある場所が傷んで、そこが担っていた役割(手を動かす、言葉を話すなど)がうまくいかなくなったとき――傷つかずに残った部分が、ネットワークを組み替えて、その役割を肩代わりしようとすることがあります。これを 「脳の再構成(さいこうせい)」 といいます。
休んでいた回路が活性化したり、残った神経どうしが新しいつながりをつくったりして、失われかけた働きが、少しずつ再び組み立て直されていくのです。
ただし、いいことばかりではありません。脳が傷ついたあとには、回復のじゃまをするタンパク質が現れることもわかってきており、これが回復の壁になる場合があります。だからこそ、早めに・適切にはたらきかけることが大切だと考えられています。
リハビリは「脳の変化」を引き出すお手伝い

では、その「変わる力」を、どうやって引き出すのでしょうか。
そこで登場するのが、リハビリテーションです。
リハビリは、運動や、同じ動きの反復練習といった刺激を通して、脳の可塑性を 意図的に引き出し、失われた機能の回復を促していくプロセスだと考えられています。やみくもに頑張るのではなく、「脳が変わりやすい状況」を、外から手伝ってあげるイメージです。
カギをにぎるのが、脳の中で出る アセチルコリン という物質です。記憶や注意に深くかかわる脳の部位(マイネルト神経核)から出るこの物質が、脳の可塑性を後押しするスイッチのような役割をすると考えられています。さらに、こうした物質を調整して人工的に可塑性を高め、リハビリの効果を底上げしようという研究も進められています。
そしてもう一つ大切なのが、環境と経験です。ヒトの脳は、まわりの環境や、積み重ねる経験によって育ちます。刺激の豊かな環境――人と話す、手先を使う、体を動かす――が、脳の作りかえを後押しすると考えられています。
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👉 運動でつくられる“脳の若返り物質”の話
現場で感じていること
理学療法士として現場に立っていると、教科書の言葉以上に、この「脳の可塑性」を実感する場面があります。
最初はわずかな動きしか戻らなくても、あきらめずに、こつこつ続けた方ほど、半年・一年と経つうちに、できることが増えていく――そんな姿を、何度も見てきました。派手な特効薬があるわけではありません。地道な繰り返しこそが、脳の変化を引き出す確かな道なのだと、現場で教えられています。
高齢になっても、脳は変われる

「変わる力は、子どものうちだけでは?」と思われるかもしれません。たしかに、脳の可塑性は、子どもが言葉や知恵を身につけていく時期にとくに大きくはたらきます。
でも、この力は大人になっても、高齢になってもゼロにはなりません。脳は、生涯を通じて変化し続けていることがわかってきました。最近の研究では、66歳ごろと83歳ごろに、脳が大きく作り変わるタイミング(転換点)があるとも報告されています。
ここで知っておきたいのが、「認知予備力(にんちよびりょく)」 という考え方です。これは、若い頃からの学びや、知的な活動、人との関わりの積み重ねが、脳の“余力”になるというもの。この余力が大きいほど、年をとって脳に多少の変化が起きても、**症状が出るのを遅らせる“盾”**になってくれると考えられています。
「脳トレ」や知的な習慣の話は、こちらもどうぞ。
👉 脳トレは効くの? 20年分の研究からわかったこと
いま私たちにできること

脳の可塑性は、特別な人のものではありません。毎日の暮らしの中で、だれもが育てていけるものです。難しいことは要りません。
- ✅ 体を動かす:散歩でも体操でも。運動は、脳の“変わる力”を後押しします
- ✅ 新しいことに挑戦する:はじめての趣味、習いごと、行ったことのない道。脳に新鮮な刺激を
- ✅ 手先を使う:料理、編みもの、楽器、絵手紙など。手と脳は深くつながっています
- ✅ 人と関わる:おしゃべりや、地域の集まり。会話は脳をよく使う活動です
- ✅ あきらめずに続ける:効果は一日では出ません。“こつこつ”が、いちばんの近道です
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おわりに
「年だから、もう良くならない」
その言葉を、私はあまり信じていません。
脳には、いくつになっても 変わろうとする力 が残っています。その力は、派手な薬や高価な道具で引き出すものではなく、毎日の小さな積み重ね――体を動かし、頭を使い、人と関わること――の中で、静かに育っていきます。
今日できる一歩は、ほんのわずかかもしれません。
でもその一歩こそが、あなたの脳の“変わる力”を呼び覚ます、いちばん確かな方法です。
無理なく、あきらめず、できれば誰かと一緒に。
それが、脳とずっと付き合っていくための、いちばんやさしいコツだと思います。
参考にした情報
- 「脳科学とリハビリテーション医学をつなぐ『脳可塑性』の探究」(The Japanese Journal of Rehabilitation Medicine 62巻6号)
- そのほか、脳の可塑性・認知予備力に関する近年の脳科学の知見をもとに、一般の方向けにかみくだいて構成しました。
- ※リハビリや運動の進め方は、お一人おひとりの体の状態によって異なります。実際に始めるときは、かかりつけの医師やリハビリの専門職にご相談ください。