「運動は体にいい」――これは、みなさんよくご存じだと思います。
では、「運動は “脳” にもいい」 のはなぜか、考えてみたことはありますか?

「歩くのは足の運動なのに、どうして頭にまで効くんだろう?」
実は、その “橋渡し” をしている物質が、近年とても注目されています。
その名前が イリシン。運動をすると、筋肉そのものから分泌され、血液に乗って脳まで届く といわれる物質です。

理学療法士として30年、私はたくさんの方の体と向き合ってきました。「運動が脳に効く」という実感は前からありましたが、その “理由” が少しずつ科学で説明できるようになってきたのは、とても心強いことです。

✅ 運動すると、筋肉から イリシン(運動でつくられるホルモンのような物質)が出ると考えられている

✅ イリシンは脳に届き、「脳を育てる物質(BDNF)」 を増やして、記憶の中心 「海馬」 を助けるとみられる

✅ 2026年には、人間でも「運動→イリシン→海馬」のつながり を示す研究が報告された(ただし、まだ研究の途上です)


目次

  1. そもそも「イリシン」って何?
  2. なぜ筋肉の物質が、脳にまで効くの?
  3. 2026年の新しい研究が示したこと
  4. どんな運動でイリシンは出るの?
  5. 理学療法士として、現場で感じていること
  6. いま、私たちにできること
  7. おわりに

そもそも「イリシン」って何?

運動する人たちのイラスト

イリシン(irisin)は、運動をしたときに筋肉から出てくる物質 です。
こうした「筋肉から分泌される物質」は マイオカイン(=筋肉がつくるメッセージ物質)と呼ばれ、イリシンはその代表選手のひとつです。

最初に報告されたのは2012年のこと。「筋肉は、ただ体を動かすための器官ではなく、体じゅうに指令を送る “臓器” でもある」――そんな見方を広げるきっかけになりました。

おもしろいのは、このイリシンが 血液に乗って全身をめぐり、脳にまで届く と考えられている点です。
「足腰を動かしているだけ」のつもりが、実は 体の中で “脳あての手紙” を出しているのかもしれない、というわけです。


なぜ筋肉の物質が、脳にまで効くの?

運動とBDNFの関係を表すイラスト

カギになるのが、BDNF(ビーディーエヌエフ=脳由来神経栄養因子)という物質です。
むずかしい名前ですが、ひとことで言えば 「脳の神経細胞を育てて、元気に保つための栄養」 のようなものです。

イリシンは脳に届くと、この BDNFを増やす はたらきがあるとみられています。BDNFが増えると、記憶をつかさどる 海馬(かいば)という場所で、神経細胞のつながりが保たれたり、新しく生まれたりするのを助けると考えられています。

流れをまとめると、こうなります。

運動する → 筋肉からイリシンが出る → 血液に乗って脳へ → BDNFが増える → 記憶の中心「海馬」が元気に

実際、過去には「高齢の方が1年間、ウォーキングなどの有酸素運動を続けたところ、海馬の体積がわずかに増えた」という研究も報告されています。年齢とともに少しずつ縮みやすい海馬が、運動で逆に育つ可能性がある――というのは、とても希望のある話です。


2026年の新しい研究が示したこと

研究を表すイラスト

これまでイリシンの研究は、多くがネズミなどの 動物実験 で進められてきました。「人間でも本当に同じことが起きているの?」という点は、まだはっきりしていなかったのです。

そんな中、2026年に発表された研究(医学誌 Aging Cell)では、高齢の方を対象に、「運動が多い人ほどイリシンが高く、それが海馬の状態の良さにつながっている」 という関係が、人間でも初めて示されました。

海馬は、ひとつの大きなかたまりではなく、いくつかの細かな区画に分かれています。今回の研究では、そのうち 「記憶をつくる区画」「新しい神経細胞が生まれる区画」、そしてアルツハイマー病で早くからダメージを受けやすい区画 にまで、よい関係が見られたのです。つまり、運動とイリシンの効果が、脳の “守りたい場所” にきちんと届いている可能性 が示された、ということになります。

そのうえで、いくつか心にとめておきたいこともあります。

  • 今回わかったのは、あくまで 「運動・イリシン・海馬の良い関係」 です。「運動すれば認知症を防げる」とまで結論づけるには、これからさらに研究が必要な段階です。
  • イリシンは、過去に 「正しく測れているのか」という測定上の議論 もあった物質で、研究者たちはいまも慎重に検証を重ねています。

それでも、「運動の効果が脳に届くしくみ」が少しずつ見えてきたことは、これから先の予防や治療を考えるうえで、大きな一歩だといえます。


どんな運動でイリシンは出るの?

いろいろな運動のイラスト

「特別なトレーニングが必要なの?」と思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
研究で多く取り上げられているのは、ふだんから取り組みやすい運動 です。

  • 有酸素運動:ウォーキング、軽いジョギング、自転車、水中歩行など
  • 筋トレ(軽い負荷でOK):スクワットや、いすからの立ち座りなど。筋肉に適度な刺激を与える運動
  • 続けること:1回だけでなく、週に数回・無理のないペースで続ける ことが大切とされています

そして、忘れてはいけないのが「運動だけが特効薬ではない」ということ。
たとえば神戸大学の研究では、運動に加えて 栄養・脳トレ・生活習慣病の管理 を組み合わせて続けたところ、高齢の方の認知機能が改善した、と報告されています。「あれもこれも完璧に」ではなく、できることを組み合わせる ――それが現実的で、効果も期待できる近道のようです。

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理学療法士として、現場で感じていること

リハビリの現場にいると、「体を動かすと、表情まで明るくなる」場面に何度も出会います。
運動のあとに「頭がすっきりした」「気持ちが前向きになった」とおっしゃる方は、本当に多いのです。

イリシンのような物質の研究は、そうした 現場での実感 に、少しずつ科学の裏づけを与えてくれているように感じます。難しい理屈を覚える必要はありません。「体を動かすことは、脳にもごほうびを届けている」 ――そう思えるだけで、毎日の一歩が少し軽くなるのではないでしょうか。


「運動が大切なのはわかっていても、ひとりではなかなか続かない」「自己流で本当に合っているのか不安」――そんな方も多いと思います。
そんなときは、専門家にそばで支えてもらう のもひとつの方法です。年齢や運動経験に合わせて、無理のないペースで見てもらえる場所もあります。

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いま、私たちにできること

ウォーキングを楽しむシニアのイラスト

イリシンの研究はまだ途中ですが、そこから見えてくる「できること」は、とてもシンプルです。

まずは歩くことから。 1日のうち、少しでも体を動かす時間をつくる

「ながら運動」もおすすめ。 散歩しながら景色を眺める、軽い体操をしながら歌う、など頭も一緒に使う

筋肉にも軽い刺激を。 いすからの立ち座りなど、無理のない範囲で

続けることがいちばん大事。 できれば誰かと一緒に、楽しみながら

運動・食事・睡眠・つながりを、ちょっとずつ。 完璧でなくて大丈夫

持病のある方や、長く運動から離れていた方は、急に頑張りすぎないことも大切です。※ ご自身に合った運動量については、必ずかかりつけ医にご相談ください。


おわりに

「運動が脳にいい」――昔からよく言われてきたこの言葉に、イリシン という物質が、ひとつの “理由” を与えてくれようとしています。

筋肉は、ただ体を支えるだけの存在ではなく、脳に向けて元気の便りを送ってくれる頼もしいパートナー なのかもしれません。

まだ研究の途上ではありますが、わかってきたことはとても前向きです。
今日の散歩、今日のひと汗が、5年後・10年後の脳の健康を、静かに支えてくれているかもしれません。
どうか無理なく、楽しみながら、体を動かしていきましょう。


参考にした情報

  • Pace, R., et al. 「The Myokine Irisin Represents an Indirect Pathway Linking Exercise to Hippocampal Subfields Relevant to Alzheimer’s Disease and Neurogenesis」 Aging Cell(2026年)
  • レビュー論文:「Irisin: An unveiled bridge between physical exercise and a healthy brain」 Life Sciences(2023年)
  • 新潟大学脳研究所 脳研コラム 「運動が支える脳の健康」
  • 神戸大学ニュース 「運動を主体とした多因子介入により認知機能が向上」(2024年)

※ 本記事は、上記の研究・解説をもとに、一般読者向けにわかりやすくまとめ直したものです。イリシンに関する研究は現在も進行中であり、本記事の内容は「現時点でわかってきたこと」をお伝えするものです。持病のある方や、長く運動から離れていた方は、運動を始める前に必ずかかりつけ医にご相談ください。